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2023年(令和5年)

9月15日(金)≪羽田空港第3ターミナル見学と東京湾アフタヌーンクルーズ浜散策 の旅≫

 旧「敬老の日」に合わせたわけではないが、今回も無理なく近場で楽しめる所はないかという思いから表題の旅を企画しました。

 当日、東浦和駅9:45集合9名と浦和駅9:50集合3名および南浦和駅乗車1名が南浦和駅10:06発の京浜東北線最後部で合流し、総勢13名の旅となった。

 浜松町で下車し東京モノレールに乗換11:25羽田空港第3ターミナル駅に到着。

国際線の飛行機が発着する「羽田空港第3ターミナル」は、2010年にオープンした比較的新しいターミナルで、バラエティーに富んだ数々の店が営業しており見どころ満載です。

 まず我々は、最上階(5階)屋上の飛行機の離着陸が眺められる展望デッキに行き、離陸する飛行機をバックに集合写真を撮りました。(集合写真と機体の写真) 

外の気温は34℃と大変暑く、やっとの思いで屋内に逃げ込み昼食場所を探すことにしました。

4階には江戸らしい和の雰囲気の「江戸小路」がありそこで昼食をと思いましたが、店の規模が大きくなく全員が同じ所では無理なので、分散昼食としました。(江戸小路写真) 

 第3ターミナルの5階フロアーには、旅への架け橋をコンセプトに「はねだ日本橋」が幅・長さとも19世紀前半当時の日本橋のおよそ半分のサイズで復元されています。(日本橋写真)

 13:40にモノレール改札口付近に全員集合し、モノレールで浜松町まで戻りました。

 浜松町駅からは日の出桟橋まで15分程歩いて行くことになっていましたが、思いがけなく14:00頃からの突然のゲリラ豪雨で、暫し連絡通路内で待機。

 傘の無い人にはカッパを貸すなど皆で助け合いながら、なんとか14:30頃には日の出桟橋の乗船ターミナルに到着することができました。



雨の中、東京湾アフタヌーンクルーズは予定通り15:00に出航。(船の写真)

 船内は我々一人一人のためのゆったりした椅子席と幾つかのテーブルが用意され、バーラウンジで飲み物を購入することもできました。(船内写真) 

船内では、15:20頃より20分程女性によるサキソフォンの生演奏があり、とても良い雰囲気でした。(女性サキソフォン演奏写真)

16:00頃日の出桟橋に帰航。再び豪雨になってきたのでターミナルでしばらく待機。

若干弱まったのを捉え、近くの「ゆりかもめ」日の出駅まで3分程歩く。

日の出駅16:20発で新橋駅へ。新橋駅16:30到着。

新橋駅16:44発の上野東京ラインと京浜東北線に分散乗車し各々帰途へ。

天候に後半恵まれなかったが、全員無事に旅を終えたことは大変良かったと思います。 

文責:石井 写真:都丸

3月1日(水)≪横浜散策の旅≫

横浜散策 (ローカル線を旅する会)

 令和531()

 

 横浜といえば誰でも1度は訪ねているところではないでしょうか。5060年前の若かりし時の思い出として「赤い靴履いていた女の子」、「ブルー・ライト・ヨコハマ」「シュウマイ」「中華街」「マリンタワー」などすぐに脳裏に浮かんで来ます。

しかし、今の横浜はそれから大きく変化し続けています。「中華街」は何と161年前(安政6年)に、「マリンタワー」は62年前にすでにできておりましたが、それから、横浜ベイブリッジや観覧車(34年前)、ランドマークタワー(30年前)、赤レンガ倉庫(21年前)、ヨコハマエアーキャビン(ロープウェイ)(2年前)と新しい横浜の魅力を膨らませています。今日は、その新しく変化した横浜を歩いてまいります。天気は晴で4月の陽気で暑くなるそうです。

 

散策行程です。

浦和(東京上野ライン)→横浜(京浜東北根岸線)→桜木町→途中までロープウェイまたは徒歩...赤レンガ倉庫...山下公園...中華街...元町・中華街駅(みなとみらい線Fライナー)→朝霞台...北朝霞(武蔵野線)→浦和方面

 

 

浦和から9時半の東京上野ラインにて横浜に、根岸線に乗り換えて桜木町で降車。約1時間強。駅前広場からは高さ296 mのランドマークタワーが目の前にそびえ立ちます。広場内には最近できたロープウェイの乗り場もすぐに目に入ります。目指す赤レンガ倉庫は運河に囲まれた島にありますが、島に渡る整備された遊歩道を歩いていくと、左にランドマークタワーを囲む高層ビル群や、観覧車、帆船日本丸、三日月型のホテルなど絵葉書のような風景が目の中に飛び込んできます。

ロープウェイの終点のショッピングモールの前で歩いて来た仲間と合流し遠くに見える赤レンガ倉庫を目指して歩き出します。きれいに手入れされた車道や花壇のある中央広場の中を通ってわずか5分程度で赤レンガ倉庫に付きました。112年前に保税倉庫として竣工され戦後アメリカ軍港湾司令部や港湾倉庫として使われてきましたが2002年に商業施設としてオープン。明治/大正の煉瓦造建築が人気の横浜を代表する観光スポットです。記念撮影をしてから 皆さんそれぞれ自由時間でショッピングを楽しみます。当時の倉庫の面影を残しながら小さなお店が軒を連ねるフロアには老舗店や新しいタイプの土産店など、横浜らしいお洒落なショップが並びます。

希望者6名は駅前から5分間の運河を超えるロープウェイに乗りましたが、その風景は絵葉書をさらに360度の3Dに展開したパノラマ映像で、その迫力に感動し料金以上の醍醐味を味わえたかなと思いました。


買い物を終え、次は海岸に沿った専用のプロムナード(立体歩道)を通って10分ほどの山下公園に寄ります。93年前にできたこの公園は海への眺望、記念碑や歌碑など見どころが多く横浜ベイブリッジや港を行き交う船の眺めはロマンチックな気分をおこさせます。


海側の花壇の中に童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子」像があります。実物大に近い青銅でできている可愛らしい像です。残念ながら靴は赤ではありませんでしたが、皆が触るので靴は黒びた青銅色でしたが光っていました。

 ベンチで小休止したあと、そろそろお腹が空いたので公園の木々の間にマリンタワーを垣間見ながら南に向かいビル外の中に入って中華街に向かいます。 

入り口には右横書きで「街華中」と書かれた札がある朝陽門が色鮮やかに堂々と我々を迎えてくれます。「中華街」は明治維新の9年前(安政6年)の横浜開港時にできていたとは驚きです。西洋人の仲介役として活躍し漢字を理解できる広東を中心とした中国人で、日本や外国商館にとって不可欠の存在であった広東華僑の居留地が中華街へと発展したようです。公園からは5分のところです。

現在、中国料理店は約230店、小売店が約200店 、合計600店以上もの店舗が営業し、広東の華僑の影響で広東料理の店が多いのですが、上海、北京、四川、湖南と多様です。水曜の平日ですが多くの人で賑わっています。日本の10代、20代の学生や若者も多く、中国、韓国やアラブ系、西洋系の方々も見受けられます。若者たちは餃子や、シュウマイ、肉まんなど串に刺した「欲張り串」や「フカヒレ饅頭」など、人気のある店前で食べられる店頭販売に集まっていました。 

さて、あまりにも店が多いのでどこがいいのか迷いますが、以前に来られた方の推薦で中華街の入り口に近い老舗の「華正樓 新館」にしました。この店はネットでは中華料理の王道と書かれた記事もありましたので楽しみです。ランチなのでアラカルトを考えていますが皆さん迷った末、無難な五目焼きそばや五目汁そばを頂きました。あくまでも個人の見解ですが五目焼きそばの具はかなり多く、また、新鮮で全体の味付けはコクが有り塩気もバランスが取れ、具の旨さをうまく引き出したバランスの取れた味には申し分ありませんでした。普段、中華といえば安いラーメンしか食べない筆者には久しぶりのご馳走でした。しかしレシートを見たらそれ以上の久しぶりの値段でしたが。店内には銘菓の販売もしており、肉まんやあんまん、焼売や中華菓子などの販売もしており、幾つかのお土産を買っている人もいました。


この駅は横浜高速鉄道が横浜から20042月にみなとみらい線として開通し、東武東上線―東京メトロ副都心線―東急東横線を経由して飯能などから直接乗り入れられるようになりました。


昼食後は、中華街に密集しているお土産屋や大型ショップ、雑貨店などで箱入り菓子やバラマキ土産、菓子系からキーホールダーやハンカチ、ペンなどの雑貨類をしばらく観て、集合場所の中華街入り口の朝陽門に接している「元町・中華街駅」に集まりました。

この乗り入れ電車がFライナーです。以前は中華街の最寄りの駅は徒歩10分ほどのJR根岸線の石川町でしたが、中華街入り口にできた「元町・中華街駅」は格段に便利になりました。地下にあるその駅から乗り、散策の疲れも忘れて1時間ほどのおしゃべりで東武東上線の朝霞台駅に着き武蔵野線の北朝霞からそれぞれの帰途に着きました。 

文責、写真:都丸

2022年(令和4年)

11月18日(金)≪ところざわサクラタウンの旅≫

角川武蔵野ミュージアム
角川武蔵野ミュージアム

    コロナでしばらくの休止を余儀なくされたローカル線を旅する会 ワクチン接種も進み、ようやく感染者数も落ち着いてきたので、 9月に再開し、今回が今年2度目の開催となりました。以前のように遠方まで出向くのは避け、近場でと探したところ 最近オープンした 「ところざわサクラタウン」 が日本最大級の ホップカッルチャーとして興味を引く存在であり、行ってみたい 所となりました。  

 当日朝9時半、東浦和駅8人 南浦和駅4人と集合した12人が ローカル線の武蔵野線に乗ること21分、東所沢駅で下車 歩いて約10分程で「角川武蔵野ミュージアム」に到着しました。 デザイン監修は世界的建築家の隈研吾氏、建物全体が洒落た グレーの石タイルで覆われ、窓もなく天に向かって広がっている ような斬新なデザインの建築物でした。中に入ると5階層になっていて、4階にある高さ8メートルの本棚劇場始め、全館電子制御の 塊みたいな建物で、後期高齢者にはとてもついていけません。 昼食は、ほぼ全員が隣の建物にある角川食堂に入り、ボリューム 満点の塩豚丼&ランチビールに舌鼓。 昼食後、川で魚を啄み優雅に舞う白鷺を下に見ながら橋を渡り、観光情報物産館(YOT-TOKO)で地元名産品を買い求めた後 帰路につきました。 東所沢駅近くで見つけた「ガスト」に入り有志打上会後、解散です。  

渕本 記

9月21日(水)≪等々力渓谷と五島美術館≫

「ローカル線を旅する会」を昨年11月12日の「鉄道博物館見学」以来10か月振りに再開しました。

コロナ第7波のピークが過ぎる頃を見計らい、今回も遠出を避け、都内の「等々力渓谷と五島美術館」を訪れることにしました。 

前日まで台風14号の影響で天候が心配でしたが、当日は曇りの予報であったため、他の組長(2組寺田さん、3組山口さん)と相談し決行することにしました。  

今回の参加者は14名(女性10名、男性4名)。

 

南浦和駅9:28発の武蔵野線の車両内で全員合流し、北朝霞駅で東武東上線に乗換え、自由が丘駅まで直行。東急大井町線に乗換え等々力駅に10:48に着きました。

 

駅前のコンビニ等で昼食用弁当その他を購入し、すぐ近くの矢沢川に架かる「ゴルフ橋」脇の階段を下りるともう「等々力渓谷」です。

「等々力渓谷」は、武蔵野台地の南端を矢沢川が侵食してできた、延長約1kmの東京23区内唯一の渓谷です。都会とは思えない自然に触れることができます。

但し、当日は台風14号の影響による倒木のため、散策路が途中から通行止めになってしまい、昼食予定である日本庭園まで急な階段を上って迂回せざるを得なかったのは残念。

 

昼食後、「五島美術館」へ徒歩で向かう途中にある「野毛大塚古墳」に立ち寄りました。

「野毛大塚古墳」は都指定遺跡で、古墳時代中期(約1600年前)に造られた南武蔵地域の大首長墓と考えられ、形は帆立貝形古墳(全長82m、後円部直径67m、高さ11m)で、同種の古墳としては最大級の規模を誇っています。

 

ここから最後の目的地である「五島美術館」へ約1、2㎞の上野毛高級住宅街を歩きました。

「五島美術館」では、事前連絡していた係りの方が玄関前で迎えてくれました。

ここで、展示品鑑賞希望者3名と庭園のみ鑑賞希望者11名に分かれ、約1時間各々楽しみました。

「五島美術館」は、創立者が東急の会長であった五島慶太(ごとうけいた1882~1959)であり、半生をかけて収集した日本・東洋の古美術品(明治期以前)を根幹に、1960年(昭和35年)に設立されました。

元々私立美術館でしたが2012年(平成24年)より「公益財団法人五島美術館」として活動しています。

建物(本館)は、芸術院会員・吉田五十八(よしだいそや1894~1974)の設計によるものであり、王朝貴族の建築様式である「寝殿造」の意匠を随所に取り入れており、近代建築史における貴重な建造物として注目されています。

したがって、その由緒ある本館前で集合写真を撮りました。

 

帰途は、上野毛駅14:13発に乗車し、自由が丘駅で乗り換え、行きと同じルートで朝霞台駅15:12着。

予定よりかなり早く着いたので、朝霞台で久し振りに打ち上げ懇親会を実施。

10名の参加でしたが、大いに盛り上がり、皆の笑顔が弾けました。

次の「ローカル線を旅する会」が楽しみです。 

文責:石井  写真:都丸

2021年(令和3年)

再活動第一弾

令和3年11月12日(金)≪鉄道博物館≫

最新型新幹線車両の前で記念撮影
最新型新幹線車両の前で記念撮影

2021年11月12日、あの憎っくきコロナ騒動のせいで活動を中断した 「ローカル線を旅する会」 が、1年以上の休止期間を経て、活動を再開しました。
再開第一弾は、遠方を避け、手近に有ってかねてより訪問してみたかった大宮の
「鉄道博物館」です。

久し振りに大宮駅に集合した会員は13名、東北新幹線の高架横に張り付くように走っているニューシャトルに乗車して一駅目の「鉄道博物館駅」で下車、さほど混みあっていない館内へと入場します。

入口の館内案内所で案内嬢のアドバイスに従い、まず 「車両ROLLING STOCK 」で蒸気機関車「弁慶号」始め、半世紀以上前に活躍していた「つばめ」「とき」などの特急電車車両や1964年に走り始めた東海道新幹線「ひかり」「こだま」などの懐かしい車両が、数十万キロも走ったと思われない姿でピカピカに磨かれて鎮座しておりました。
鉄道ジオラマでは、日本最大級といわれる鉄道立体模型でJRの24時間活動の様子を実際の鉄道ダイヤ通りの時刻で運行する姿が見られました。
英国 スティーブンソン発明の蒸気機関車から始まって、現在の時速300kmを超える最新型
新幹線までの精密模型もズラリと並び、見ていて壮観な気分になります。
館内は小さなお子さん(3歳から5歳位) 連れの若い家族が多く (小学生は学校ですね)子供達に人気のある博物館のようで、私も鉄道大好きな孫たちを連れ再訪したいと思った次第す。
会館4階の新幹線の走る姿が見える「ビューレストラン」で昼食を済ませ、1階の最新型新幹線車両の前で記念撮影し、13時過ぎに現地解散となりました。今年のローカル線の旅活動はこの1回限りですが、来年コロナが収まったら、また遠方まで足を伸ばした活動を再開したいと思います。                      ( 渕 本 記 )             

C57蒸気機関車
C57蒸気機関車
弁慶号蒸気機関車
弁慶号蒸気機関車
新幹線ひかり
新幹線ひかり

特急とき
特急とき
精巧な模型
精巧な模型
出発進行 ヨシ‼
出発進行 ヨシ‼

2020年(令和2年)

令和2年10月9日(金)≪岩槻人形博物館の旅≫

岩槻人形博物館   (ローカル線を旅する会)

令和2109()

 

2月以来、久し振りの旅。台風の影響で、そぼ降る雨の中浦和駅に集合。明るい笑顔がホームにあふれている。やっぱり仲間はいいものである。女性12名、男性3名の参加で大宮経由で東武野田線に乗り換えあっという間に岩槻につく。 

 

岩槻の地名は、室町時代初期『長谷河親資着到状』という古文書の中で初めて「岩付」として登場しており、現在の「岩槻」の字が使われ始めたのは江戸中期からである。槻はケヤキの古名で、城の土塁や町の随所にケヤキが植えられていたことからこの字が当てはめられたといわれている。

駅からの道すがりで、まずは遷喬館(せんきょうかん)(藩校)に立ち寄る。古民家ふうの茅葺きの家である。徳川幕府後期の寛政11年に、岩槻藩士の儒学者児玉南柯(こだまなんか)が創設した私塾で、その後藩校となり儒学を中心に講義が行われ、多くの藩士の子弟たちがここで学びました。

 

次は、今日の本命「岩槻人形博物館」に行く。歩いて数分のところにある。

 

思ったより敷地が広く、日本文化を守りながらの近代的な建物である。敷地の中にはレストランやお土産屋もある。

岩槻は人形で有名であるが、江戸時代に日光東照宮への日光御成道が整備され、宿場町、城下町として大いに栄え、この頃に日光東照宮の造営、修築にあった工匠たちがこの地に足をとどめ、人形づくりを手がけたのが岩槻人形の始まりと伝えられているそうだ。 

 

館内はそれほど広くなく、展示ルームは3つほど。1つは人形作りの工程の説明。2つ目は江戸時代からの主に節句の雛人形と古典人形。100年以上も経つのにそんなに色あせてなく、しっかりしている。様々な顔の表現があり勉強になる。

 

3つ目は期間限定の企画展で昭和初期に人形芸術運動で人形の芸術的価値を高めることに尽力した人間国宝の平田郷陽や野口光彦の二人の人形作家を中心に、子供や親子のかたちを表した作品が紹介されています。無垢な子供の一瞬の表情や仕草を捉えた人形は、まるで生きているように感じられます。

岩槻人形博物館WEBサイトより
岩槻人形博物館WEBサイトより


 昼は敷地内にあるレストランで食事をしました。「ヨロ研究カフェ」というちょと変わった名前です。イタリアやフランスの個性豊かな野菜を、さいたまのシェフの声がきっかけとなり「さいたまヨーロッパ野菜研究会」が結成され、現在、市内の若手農家とシェフが協力してヨーロッパ野菜を栽培し、このレストランでも使われています。日本の野菜と形、味が違い、具材の並べ方もきれいでちょっぴりヨーローパののカフェを彷彿させます。 

ヨーロパ野菜のカレーが人気でした。(税込み1,320円)

時の鐘はすこし高台にあり、川越のそれに比べがっしりした感じです。ゆったりと我々を迎えてくれました。鈴木酒造資料館では、昔使っていた樽や道具を拝観し、現在お酒も生産しているので、お土産に生鮮な酒かすを買っていく何人かおりました。


小降りの雨でしたが岩槻城址公園にはよらず、時の鐘をみて、鈴木酒造資料館を館内見学し駅に戻りました。

浦和に近い岩槻ですが、子供の節句人形を買いに行くことはあっても、なかなか街内を見ることはなかったと思いますが、今日はいくつかのスポットを見学てきて良かったと思います。そして台風の前日にもかかわらず、心配していた雨も小降りで風もなく岩槻の散策を楽しむことができたことは、クラブ員の日頃の行いが、どなたかに評価されたことと思います。 

文責: 森、都丸、 写真:都丸

令和2年2月17日(月)≪三浦海岸河津桜観桜の旅≫

立春も過ぎたこの時期は例年ですと寒気も一段と厳しく感じられる頃なのに、今年は異常とも思える小春日和が連続。今日の天候もさながら、河津桜の開花が気にかかる。

 

217日今年最初のローカル線の旅を迎えた。830分浦和駅3番ホームに集合。参加者は15名。今年最初の活動として選んだのは、本場に行かずとも河津桜が観桜できる三浦海岸だ。もう一つ三崎港での豪快な昼食に舌鼓するコース。それを一つにした“みさきマグロきっぷ”を利用することにした。“みさきマグロきっぷ”とは、①電車&バス券、➁マグロまんぷく券、③みさきおもひで券(土産引換券)をセットにしたもの。因みに料金は3,570円。

842分の電車に乗車。京急品川駅にて“みさきマグロきっぷ”を購入。950分の京急電車乗車、11時丁度に最初の目的地の三浦海岸駅に到着。満開の河津桜がお出迎え。さくら祭りの真っ最中とあって、駅前広場では賑やかに踊りが

演じられている。20分ほど休憩しながら20本ある河津桜を楽しみ、心はまだ見ぬ桜並木。浦和を出るときは曇天の天気だったが、三浦海岸は晴れていた。だが、海に面した地形でもあり、風が帽子を吹き飛ばすほどの強さ。歩いて10分ほどで桜並木に到着。河津桜と菜の花のコントラスト。本場河津でもお馴染みの光景が目の前に広がる。桜並木は電車道と道路の片側に数百メートルにわたって色鮮やかにピンクに染めている。小松ヶ池公園付近が見所地点になっている。 

小松ヶ池公園とは言っても小さな池の防波堤に20本足らずの河津桜があるだけ。桜並木は人の往来が激しく、足を休ませる処がない。多くの人はこの場で一服するといった案配。

この場を離れる段階で一つの判断ミスが生じた。下見したコースとは別の途を選んだ。という訳ではないが多くの見物人の群れの流れに押し出された格好だ。


 15人が固まって歩いている訳ではない。添乗員のように旗でも持っていれば統率できようが、判断が難しい局面に陥った。設定したコースは小松ヶ池公園から徒歩15分足らずで三崎口駅に行くコースなのだが、足は三浦海岸駅に戻るコースを歩いている。三浦海岸駅でも判断ミスを生じてしまった。三浦海岸駅から三崎口駅まで一駅電車に乗車して三崎港に向かう筈だったが、三浦海岸駅から三崎港まで直通バスがあるという。半分以上の人はバスを選択したが、数名の人との連絡がつかない。探し求めてバス停に向ったが、一歩届かずバスは発車。結局、残った数名は電車、バスと乗り継いで三崎港に着いたのは20分遅れとなった。三崎港のバス停で先に到着していた人たちが笑顔で迎えてくれた。

 

 今回の旅のもう一つのイベントは三崎港でのマグロきっぷを用いた“マグロ満喫”である。2年前に1度経験があるので数ある店の中から迷わずに「まぐろ食堂 七兵衛丸」の店の前に並んだ。20分も待っただろうか全員が席に着いた時は1時を超えていた。先ずはビールで乾杯。喉の渇きが癒されたところへ豪華なマグロ料理。定番のまぐろ刺身定食やまぐろ海鮮丼が並ぶ。「花より団子」という諺がある。美しい花を愛でるより、腹の足しになる団子がいいという例えだが、今はまさにこの中にあって、マグロの舌鼓に誰もが満足。ローカル線の旅でも、築地、豊洲、沼津などでマグロを食してきたが、やっぱり三崎のマグロは何かが違うように思えた。

 

 本日のマグロきっぷの締めは、「みさきおもひで券(土産引換券)」を用いた旅の土産品選びだ。800円前後の商品との引換だ。数ある海産物の中から家族への旅の報告になるようなものを選び出す。これもまた楽しい。

 全員が三崎港のバス停を後にしたのは220分であった。

 今日の旅をハプニングはあったものの、それもまた一つの想い出となれば有り難い。満開の河津桜で一足先に春の息吹を感じ、三崎港ではマグロ料理に舌鼓、

最後に家族への土産品選び。

 

 本日の最後は,浦和に戻ってからの打上げ懇親会。9名の参加でしたが、皆さんの和みは最期まで輝いていました。

今世界はコロナウイルスに動かされている。春は待ち遠しいが花粉も運んでくる。オリンピックを迫ってくる。一足先に春の息吹を浴びることができたことに感謝しつつ、次なる目標に向けてLet's go

 

                       219日 文筆 井上 写真 都丸

2019年(平成31年~令和元年)

令和元年12月8日(日)≪千葉都市モノレール乗車の旅≫

令和元年最後の「ローカル線を旅する会」は、日曜日にもかかわらず21名と多数が参加。

前日の曇天寒日とは打って変わって晴天暖冬の絶好の旅日和となり、皆嬉々としている。

今回の旅の目的は、「ギネス認定世界最長(15.2)の懸垂式モノレールに乗車し、沿線の主な観光スポットを巡る」ということです。

 

浦和駅8:24発、南浦和駅で武蔵野線に乗換え東浦和駅・越谷レークタウン駅で合流し千葉駅9:43着。千葉都市モノレール一日乗り放題のホリデーフリー切符(¥630)を購入し、いよいよ旅のスタート。

モノレール全線踏破の為、まず終点の千城台(ちしろだい)駅まで25分程乗車。

自動車と同じゴムタイヤの車輪でレールに吊り下がっており、ほとんど騒音・振動が無く快適な空中散歩である。途中、車内の窓から富士山が望めた。

.すぐに折り返して千葉公園駅下車。目の前が千葉公園。

①千葉公園

多少紅葉が残っていた。四季の花を愛でながらのんびりと散策するには絶好の場所。 

モノレールを背景に写真を撮る。

隣の千葉駅まで乗車し、駅ビル千葉ペリエ5階にて各自昼食(約1時間)。

千葉駅12:57発に乗車し、千葉市立郷土博物館のある県庁前駅へ(13:02着)。

徒歩10分程で千葉市立郷土博物館に到着

 

②千葉市立郷土博物館

千葉の歴史に触れられる天守閣を模した郷土博物館。入場無料!

 

5階の展望室からは市街地が一望できたが、残念ながら富士山は見えず。

 

県庁前駅14:05発に乗車し、本日の観光スポットの目玉である千葉ポートタワーの最寄り駅千葉みなと駅へ(14:14着)。徒歩20分程で千葉ポートタワーに到着。

 

 

 

③千葉ポートタワー

全面ハーフミラーガラスという特殊ガラスに覆われた光り輝く大展望施設。

展望フロアーは地上113mの所にあり、千葉市街から東京湾まで一望でき壮大な眺めである。 

15:00からは展望フロアーから更に65段の階段を上った屋上に出ることができた。

ここで16:23からの夕日を見たいグループ(10名)と早く東浦和で「打ち上げ」をやりたいグループ(7名)および明日に備えて早く帰宅したいグループ(4名)に分かれた。

先発組11名は千葉みなと駅まで徒歩で戻り、同駅16:02発のモノレールに乗車。

千葉駅、西船橋駅経由で東浦和駅17:29着。7名は駅近の打ち上げ会場へ。

夕日鑑賞組も19;005名が打ち上げに合流し、大いに盛り上がった。

 

今回の「ローカル線を旅する会」は、天候に恵まれましたことが第一で、皆様のご協力のもと、たいへん楽しくかつ無事に終了しましたことを心より感謝申し上げます。 

2組 石井記


令和元年10月25日(金)≪府中界隈で学び食べ飲む≫

府中郷土の森博物館
府中郷土の森博物館

前日の天気予報は終日風雨との事、当クラブでは過去再々悪天に見舞われた南西の方角なので不安はあったものの雨天決行で案内していた企画なので小人数でも行けるところまで行くとしていました。さすが気象庁、予報通り激しい風雨の朝となったにもかかわらず17名ものご参加。府中本町経由でJR南武線分倍河原駅着、バスで先ずは ①『府中郷土の森博物館』訪問、館内では旧大宮市出身の解説女史のご案内で府中地域に纏わる自然・歴史や神社(暗闇祭りなど)そして甲州街道の歴史を学びました。

サントリー武蔵野ビール工場
サントリー武蔵野ビール工場

依然として屋外豪雨の為残念ながら森林や歴史的建物などは後日再訪のお楽しみとして退去、隣接する売店に移動して雨宿り。しかし雨脚は弱まらず勇気を振り絞って次の訪問地 ②『大東京総合卸売センター』へとトボトボ、傘持ち疲れ腹ペコ状態で辿り着きそれぞれ気の向くままに食堂に飛び込み胃も心もやっと幸せの時間を迎えることが出来ました。一休みの後また傘を差して最後の訪問先 ③『サントリー武蔵野ビール工場』、学習意欲十分に館内巡りを済ませいよいよ試飲、ゴクゴクゴクごっつぁんでした。

とある有名居酒屋にて
とある有名居酒屋にて

終了後バスで分倍河原駅に戻り全員無事に武蔵野線に乗り込み凱旋帰還できました。帰路南浦和駅で有志多数途中下車、 ➃『とある有名居酒屋』で無事終了を感謝し今後の晴天を祈願する反省会を賑やかに催しました。皆さま!本当にお疲れさまでした。          

                 山本記

 

令和元年7月21日(日)~22日(月)≪信州ビーナスライン一泊の旅≫

「青春18きっぷを用いた1泊の旅」は3回目になります。今回の旅先は、車山高原から霧ヶ峰高原に至るビーナスラインと呼ばれる人気のコース。一般的にはバスツアーが定番だが、我々の選んだ旅は、「青春18きっぷ」と「路線バス」を用いた旅。実際、企画はしてみたものの、安全かつ有意義な旅が実現できるかどうか不安だった。下見を2回行い、後は天候次第だ。      不幸にも、今夏は低温続きの異常気候。おまけに台風が日本海を通過中。最悪の条件下での旅行だが、予定通り決行。参加者は11名と少数。

 7月21日(日)朝7時過ぎに浦和駅から4名、東浦和駅から7名乗車し、武蔵野線の車内で合流し、845分高尾駅から一路茅野駅までの鈍行の旅。朝、雲が低く垂れこめていたが、山梨県側に入るや、青空も覗かせ、勝沼ぶどう郷駅からは甲府盆地と南アルプス連峰や八ヶ岳の山並みがきれいに見渡せ、今日は傘の出番はなさそうだと確信した。甲府駅で乗り換え、甲府駅で買い込んだ駅弁やら飲食物を車中で食し、予定どおり1158分茅野駅到着。ここからは路線バスの旅。1日目は茅野駅から車山高原(60分)、車山高原から西白樺湖(13分)、2日目は西白樺湖から霧ヶ峰高原(22分)、霧ヶ峰高原から上諏訪駅(33分)の4区間。団体割引きっぷを発行してもらい、1235分バス乗車。バスは殆ど貸切状態。本日の宿「白樺湖ビューホテル」の前を通過し、ビーナスラインを走ること約12分。

最初の旅である車山高原頂上まではリフトで15分。途中1回乗り換えるが、その地点にはニッコウキスゲがほぼ満開の状態で我々を出迎えてくれた。山頂からの景観は言葉では言い出せない絶景だ。富士山こそ見ることはできなかったが、眼下には白樺湖、遠方には信州の山並みが折り重なって見渡せる。これぞ人気の車山なのだと誰もが思った。車山頂上と標された看板を背景に記念写真。

頂上は1925m。長袖シャツを1枚羽織っても寒い感じがした。 

1615分車山高原から白樺湖に戻る感じで西白樺湖バス停に降り立ち、歩いて数分で本日の宿「白樺湖ビューホテル」チェックイン。先ずは今日の長旅の疲れを取るため温泉へ。18時からはバイキングでの夕食。1時間ほど歓談した後、カラオケルームに移動、全員1時間カラオケで楽しむことができた。

 

 2日目の朝が来た。昨日と打って変わって雲が低く垂れこめ、周囲の山も半分は雲の中。朝食後は4、50分ほど白樺湖畔を散策。106分西白樺湖を出発。

ビーナスラインからの車窓展望はなかなかの人気だ。車山肩付近ではニッコウキスゲが見頃を迎えていた。山全体が彩り、思わず歓声があがった。束の間に霧ヶ峰高原にバスは到着した。私が先ず目にしたのは、1か月前に下見に来た時、この辺もニッコウキスゲが十分見られるよ、という言葉を信じて来てみたが、見事に裏切られた感がして茫然となった。店の主人の話では八島湿原も代り映えもしないという。ニッコウキスゲの群生も殆ど鹿に食い荒らされ、今は見る影もないという。咄嗟の判断で、私は留守番で残り、10名は1044分のバスでニッコウキスゲが咲き誇る車山肩に引き返し、十分楽しむことができたという。

私の失態を皆でカバーしていただいたお陰で今回の旅も目的を達成できたのだ。

今日はニッコウキスゲの花畑を見るのが目的であればこそ、救われた気分で嬉しさが込み上げてきた。残った私は、グライダーやパラグライダーの滑空路を散策。どこを向いても花などない。歩いている途中、突然、ガスにすっぽり覆われ行く手を見失い遭難するのでは、と不安に陥れられた。これが有名な霧ヶ峰なのかと合点した次第。15分ほどで霧も消えた。貴重な体験をした。全員揃って1時間半ほど店で昼食、休憩を取り、霧ヶ峰高原1350分のバスに乗り、上諏訪駅でJR各駅停車の電車に揺られて帰路についた。

 今回の旅で感じたことは、「青春18きっぷ」の限界を鮮明に感じたこと。何よりも無事終了できたことである。安全第一を掲げ、十分下見を行なったつもりであったが、抜けがあった。全員の協力のもと、ほぼ予定どおり無事終了できたことを感謝します。 

                                       井上記

令和元年5月31日(金)≪栃木市 小江戸の旅≫

 

 小江戸・栃木「蔵の街」で

 

5月とはいえ記録的な暑さが続き、どうなるかと心配でしたが、31日はほっとできる様な気候になり一安心しました。

                           

浦和駅 東浦和駅と二手に分かれて出発 栃木駅に集合したのは 26名と、ローカル線の旅始まって以来の出席率となりました。

  まずは遊覧船待合処で記念撮影後、巴波 (うずま) 川沿いの歴史と文化の調和を楽しみながらの船旅です。

                                   

おりしも、NHK「新日本紀行」の番組取材班が栃木市を取材中で私たちが船で遊覧しているところを撮影しておりました。

 ( 放送予定日は、20日 NHKBS1時からです) 4K対応テレビをお持ちの方は4Kで視聴できますよ。                       

           

 無事に撮影も終了、それから 個々に分かれて昼食を済ませ観光スポットの蔵造りなどを見学、ゆったりとした時の流れにのんびりと散策を楽しむ 素晴らしい一日でした。

                           

                                                             4組 近藤 記

平成31年4月5日(金)≪三島新名所 スカイウオークを訪ねて≫

時はまさに桜花爛漫。旅の先々では桜が我々を出迎えてくれる。なんてぜいたくなことか。

4月5日(金)「ローカル線を旅する会」第2回目の旅が行われた。

今回は、「青春18きっぷ」を利用した旅である。

向かう先は静岡。何故か、これまで静岡方面には数回足を向けたが、ことごとく嫌われてきただけに、今日の日を迎えるまでは毎日気象情報を入念にチャックしてきた。 

青空を見上げながら、16名浦和駅に集合。満員の電車に揺られ、やっと全員が腰を降ろせたのは品川駅。熱海駅で一度乗り換え、1028分三島駅到着。

向う先はスカイウォーク。スカイウォークは201512月にオープンしたばかりのニュースポット。日本全長400ⅿの日本一長い大吊橋。テレビでもしばしば取り上げられ、なかなかの人気だ。3週間前、下見に来た時は乗れずに1時間待った経験があり、出発時まで約40分あるが、バス乗り場に並ぶことにした。今日もほぼバスは満員だった。30分ほど満開の桜と時折姿を見せる富士山に誘発されて否が応でも期待感が高まる。バスを下り、橋のたもとまで約200ⅿ。富士の姿はない。そして橋の手前にきた瞬間。目の前に富士が忽然と姿を見せる。何という演出だろう。これぞ今日のハイライトだ。

しばらく富士に見とれ、大吊橋を渡り始めた。天気予報では今日は風がやや強いという。橋は谷間を跨ぐように建てられており、風をまともに下から吹き上げてくる。それでも全員臆することなく渡ることができた。当初、3名ほど高所恐怖症で吊橋をわたることに疑念を抱いておられた人も、まったく気にならなかったという言葉を聞いて安堵した。時計は12時を回っている。三島でバスを待つ間に、昼食はお弁当にしようと申し合わせていた。橋を渡るとき感じた風もさほど気にならない。富士の姿は背後の山に隠され見えないが、春の陽を浴びながら全員野外のベンチでいただく昼食はなかなか乙なものだ。 

1時に吊橋を逆戻りし、展望台で富士をバックに集合写真をパチリ。

残された時間は30分。バスは1時間に1本と少なく、帰りのバスも混みあうことが予想され、並び始めた。お陰で全員が座れてほっとした。20分ほどバスに揺られ、バス停大社前で下車。今まさに三嶋大社は桜満開。境内には露店が立ち並び、花見客で賑わっていた。三嶋大社は源頼朝、北条政子との縁が深く、全国に知られる神社である。200本の桜が満開とあって、偶然とはいえ、この時に合わせたかのように参拝できたことに悦びの声が自然に湧いて出た。

駅までは約20分、水辺の文学碑が並ぶ水上通りをのんびりと歩いた。道にそって流れる堀の水のきれいなこと、三島は言わずと知れた富士の湧水が有名。その中心の楽寿園を突き切るように歩を進め、駅前の土産店で土産物を物色。予定通り1537分熱海行きの電車に乗車。すぐ乗り換えて浦和駅には1810分到着。今日1日の疲れを癒し、反省会の名目での打ち上げ。最後に一言。今日ほど下見の成果を発揮できたことは過去にもない。安全第一の立場に立って、下見の重要性を強く感じた旅でもありました。

                           (文筆井上、写真太田)

平成31年3月14日(金)≪小江戸川越 蔵の街散策とうまいものめぐりの旅≫

時の鐘の前で集合写真
時の鐘の前で集合写真

少し肌寒い朝でしたが、風も無く暖かい散策日和でした。

  北朝霞駅930分に23名が参加して、今年度第1回目のローカル線の旅がスタートしました。

東武東上線に乗換え、川越駅で下車。1030分に喜多院山門前で2時間コースでお願いした2名のガイドさんと合流して喜多院では2組みに分かれ、ガイドの流暢な説明により喜多院の変遷を知ることができました。それによると寛永15年の大火で堂宇の全てが焼失し、家光公の命により復興。現存の客殿、書院は江戸城より移築されたもので、喜多院では春日局化粧の間、家光の誕生の間が残され、今日私たちの目に触れることができるのです。喜多院ではこの他にも庭園や五百羅漢などについてもガイドの説明により多くを知ることができました。

五百羅漢見学後川越本丸御殿に移動

本丸御殿は、江戸時代17万石川越藩主松平が造営し、太田道灌父子によって築城された。

玄関を入ると、左右に長い廊下、大広間、詰所が当時の面影が残されており、そのまま残っている建物は高知城と川越城の2つだけだそうです。

庭も整備されて、桜が開花すると美しい庭園を眺められる事でしょう

川越市立博物館に移動

川越の歴史、文化の展示物が沢山残されて、復元した蔵造りや町並みの模型は工夫されていて、説明を興味深く聞く事が出来ました。なぜ川越が蔵の街として発展したのか、寛永の大火で焼け残った一軒の蔵屋敷から発展した経緯を知ることができました。

 

最後は川越のシンボル「時の鐘」に移動。


「時の鐘」をバックに集合写真を撮り、今の鐘は火事で焼失したりして4目で江戸時代には手動でしたが、今は機械で自動的に6時、12時、15時、18時に時を告げている。鐘の音を聞く事が出来ずに残念でした。

 ここでガイドさんとお別れして、それぞれに昼食、買い物、自由散策を楽しみ1430分に「時の鐘」の前に集合。川越駅迄歩き続けた人、ちゃっかりバスに乗り込んだ人、人それぞれでしたが、全員東上線川越駅に戻り、東武東上線朝霞台駅で下車。

本日最後のお目当ての居酒屋天狗店で胃のアルコ―ル消毒を?して旅は終わりました。

今回はガイドさんの詳しく解りやすい説明は大変良かったとの声も聞かれて、嬉しく思っています。有難うございました。 

                        (文筆野口、写真太田・都丸)

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クラブ活動  4月19日更新

 班 活動    2月21日更新

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五大尊のツツジ
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 スマホでも見られます
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