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活動報告記事

2018年(平成30年)

平成30年11月21日(水)≪YOKOSUKA軍港めぐり・市街地散策≫

ローカル線を旅する会」と共催

「ローカル線を旅する会」「ウオーキングクラブ」は、昨年度に引き続き2回目の共催として、クルーズ船による軍港めぐりと海軍カレーの昼食に人気のある「YOKOSUKA軍港めぐり」を1121日(水)に行いました。

参加者は21名。845分浦和駅3番線2両目付近に集合。途中、品川駅で京浜急行に乗り換え、予定通り1046分汐入駅到着。

クルーズ船の乗船は12時。乗船までは時間があるので、ヴェルニー公園で波静かな横須賀港や目と鼻の先にあるアメリカ海軍基地を見渡せば、否が応でも気分は自然と盛り上がる。何よりも好天に恵まれたことが一番の天からの贈り物だ。

クルーズ船はアメリカ海軍第7艦隊の基地がある「横須賀本港」と、海上自衛隊の司令部がある「長浦港」を巡るクルーズコースで、アメリカ海軍や海上自衛隊のさまざまな艦船を間近に見られる日本で唯一のクルージングとして人気がある。

 

12時汐入ターミナルを出発。先ずは前方右側の2隻の潜水艦に釘付け。案内人の明解な生放送の船内ガイドで基地の前に浮かぶ数多くの軍艦が紹介される。通称イージス艦と呼ばれる船が5隻紹介される。イージス艦は解説書によると、米海軍が対艦ミサイルから艦隊を護衛するために開発。高性能レーダーで同時に多数の目標を攻撃できる。米海軍は約70隻、海上自衛隊4隻保有している。クルーズ船は前方左岸に広がる海上自衛隊司令部の施設や、その前に立ちはだかる大きな船「護衛艦いずも」(全長248m、最大幅38m、排水量26,000トン、日本一の規模)に目が注がれる。

クルーズ船 ㊦試験艦あすか

 


横須賀は日本の首都を護る重要な基地であり、どんな機能を持ち、どのような施設があるか、案内人にも知らされていないという。日米両国にとっても秘密の基地であり、重要な任務を持っていることだけを知るだけでも今日一日の価値があったと思う。あっという間の45分の旅であったが、感想はいかに!

         海軍カレーセット
         海軍カレーセット

クルーズ船の後は、どぶ板通りにある海軍カレーの店での昼食。横須賀といえば海軍カレーが代名詞になっているほど有名にしているのは、横須賀はカレー発信の地であること。明治期の日本海軍レシピ「海軍割烹術参考書」をもとに当時の味を忠実に再現したものであること。そして、この海軍カレーは横須賀市内でしか提供できないこと。サラダと牛乳をセットにして提供されることなど横須賀ならではしか味わえないのだ。昼食後は「よこすかポートマーケット」でのお買い物。帰途は横須賀中央駅から品川駅経由で、5時前に浦和駅着。15名が参加しての打上げ。いつもの通り、華やかな懇親会が繰り広げられたことでした。

(文筆井上、写真都丸)

平成30年10月2日(火)≪吉見百穴~ふるさと歩道~八丁湖公園湖畔を散策≫

102日火曜日、台風一過の絶好天気の中、ウオーキングクラブの10名のメンバーが吉見百穴、吉見観音(安楽寺)、八丁湖公園の散策をしました。

9時ころ、北朝霞駅に集合、東武東上線で東松山へ。バスに乗って吉見百穴10時過ぎ到着。

みんな、以前にも行ったことがあり、懐かしい思いをよみがえらせました。

素晴らしい三重塔が自慢の吉見の観音様にお参り後、八丁湖へ。

ここで昼食。約2kmの湖を一周してバスで吉見農協の道の駅で思い思いの買い物をし、鴻巣駅から上野東京ラインで浦和へ。

4時から6時まで魚一丁で疲れをいやしました。

コース、時間的余裕、料金、天候、どれも100点の出来栄えでした。

平成30年8月24日(金)≪南極大陸の非日常的な日常≫&南極の氷で納涼会

昭和基地のオーロラ
昭和基地のオーロラ

台風20号の影響が心配されましたが、強風も昼前には収まり「講演会参加・暑気払い」は、予定通り行うことが出来ました。暑気払いに先立つ講演会(演題:「南極大陸の非日常的な日常」、於:浦和コミュニティセンター、1416時)には時節柄、涼気を求めて10名が参加しました。

 

  講師は、南極観測隊員として2度参画された方で、南極大陸での貴重な体験(隊員の任務、日々の生活、オーロラ・白夜発生のメカニズム、地球環境、女性の参画・活躍等)をお聞きすることが出来ました。また、展示品(62年前の昭和31年に第1次隊が使用した南極の装備品:防寒着、靴、手袋など。なお、同隊が「ソリ」を引かせるため連れて行った樺太犬22頭は、連れて帰れなかったが、次に昭和基地を訪れた3次隊が1年振りに再会した「タロとジロ」:映画化された『南極物語』に感動した方も多かったのではないでしょうか‼)に触れる機会があり、昭和基地(西オングル島)での隊員の厳しい勤務・生活状況を鮮明に感じることが出来ました。

暑気払いは、浦和駅東口の「魚一丁」で16時半から11名が参加して行いました。 先ず、渇いた喉を生ビール等で潤し、講師の先生から頂いた「南極の氷」のオンザロック(焼酎等)で乾杯‼ 「南極の氷」は、実物を見たのは初めてで、市販や冷蔵庫で造る氷とは違い“小さな泡”が沢山見えました。これは、長い間に降り積もった雪が圧縮され、時間をかけて「氷」に変化したのだそうです。泡から昔の空気を取り出し、「昔の気候を調べる研究」が行われています。 

頂いた氷は2.53万年前に出来たもので、飲む前にオンザロックに耳を当てると、何か「シュワ―ツ・・・という音が聞こえてきました。氷が何かを訴えているようでした?

久し振りのお喋りにも花が咲き、大変盛り上がった2時間でした。秋のウォーキング(102日(火):「吉見百穴~八丁湖コース」)は、3班が当番です。

多くの皆さんの参加をお待ちしています。                (村上)

平成30年5月30日(水)≪彩湖(西浦和)を散策≫

今回のウォーキングは、西浦和彩湖一周です

530日男性2名、女性9名(総11名)で西浦和駅より曇り空の中歩き、25分程で彩湖に到着しました。

新緑快い風の中、彩湖を右横に眺めながら気持ちよくウオークしました。雨がぽつんと落ちてきたので、大きな木の下で早めの昼食を取りました。昼食後は土手の上を歩き左に荒川、右に彩湖を眺めながら約1時間会話をしながら歩きました。その後、西浦和駅近くのデニーズにて反省会を行いました。

 

暑い中歩いたので皆をかいていて冷たい飲み物がとても美味しく、楽しく談笑しました。心配した雨も降りださず、西浦和138の電車に乗り早い帰宅でした。

平成30年5月8日(火)≪JAL整備工場見学≫

『浜離宮恩賜庭園』散策と『JAL整備工場』見学を計画しましたが、GW明けの天候異変(低気圧・前線停滞、梅雨入りを思わせる冷たい雨、10年振りの最高気温15℃未満、3月下旬~4月上旬の気候に逆戻)で、やむなく浜離宮恩賜庭園散策を急遽取り止めました。「散策」を中止したことについては、ご不満もおありのことと思いますが、健康・安全面等を考慮してのことですので、ご理解ください。

  肌寒い朝、曇り空を見上げ天気を心配しながら、930分浦和駅3番線ホームに22名(24名参加申込)が勢揃いし、JAL整備工場に向かう。途中、新橋・浜松町駅で乗り換え、1050分にモノレール羽田線「新整備場」に到着、駅に接続しているJAL整備工場に52分に着く。整備工場は、国際線ターミナルと国内線ターミナル間に位置する。

 

上空を飛行機が飛び交い、時々霧雨が舞い冷たく強い風が吹く中、入場時刻の11時を門前で待つ。間もなく係員の案内で、20数名のJAL制服を着た綺麗なスタイルの良い「新入CA?」と思われる一団の後に続いて、整備工場に入る。受付で参加者名簿変更・身分証明書の提示を行い、入館カードを首に入場ゲートを入る。ここからは入場制限区域が設けられている「特別区域」である。

 

エレベーターで3階の「航空教室」に入る。教室では1130分から約30分間、客室乗務員OBの方から羽田空港滑走路等の全体施設・100年前にライト兄弟発明の飛行機・ボーイング777の構造・飛行原理等の説明を受ける。 

12時から20分間は、「展示エリア」で「JALグッズショップ」・「顔マッピング」・「シート展示」等を見学する。「制服体験コーナ」ではパイロット・客室乗務員の制服を着用し、パイロットやCAの気分を楽しむ。

 

 1230分から40分間、「格納庫見学」を行う。見学は他の見学者を含め3班に編成され、我々22名は、2班に分かれて元客室乗務員の案内で第一格納庫に向かう。3階位置のステップから機体整備(運航整備、点検・重整備)状況を見学する。国際線就航のボーイング777(全長73.9m、全高19.7m、全幅64.8m、最大重量340.2t244座席)の整備状況を眼下に見下ろす。

 次に第二格納庫見学に“赤ヘル”を被り、1階に降りる。まじかに「エンジン・タイヤ交換」・「諸点検・重整備」等を見学する。ボーイング737の機体には

NHK大河ドラマ『西郷どん』の主役(鈴木亮平、渡辺謙、瑛太、北川景子等)の大きなシールが貼ってあり、空からPRを行っている。ボーイング737の機体前で、集合写真を撮る(海外旅行気分‼)。  

 格納庫の前方は羽田空港の滑走路で、およそ20秒毎に目の前に着陸する飛行機にしばし目を奪われる。また非常にラッキーであったのは、政府専用機(ボーイング767)が2機揃って駐機しており案内者も初めて、と言っておられた。政府専用機は、窓がなく前方が2階建てとなっている。

 なお、この政府専用機は来年で耐用年数が切れるので、次機種はANAが受け持つ、とのことであった。

 

 あっという間に1時間40分の見学時間が過ぎ、案内者に見送られて整備工場を後に、帰路に着く。

 『浜離宮恩賜庭園』散策を取り止めたことで、予定より早く2時半に浦和駅に着く。駅東口で有志による「打ち上げ」を行う。寒さ・空腹等で不完全燃焼状態であったが、飲み・空腹を満たすうちにエンジンに点火し、ついには楽しく有意義な懇親が図られた。ご苦労様でした。

 今回のウォーキングには、9名の非会員の方々の参加があり、本企画を盛り上げて戴いたことに心から感謝致します。有難うございました。(以上) 

(文責:村上  写真提供:齋藤)

政府専用機の写真はネット掲載NGとなっておりましたので、投稿者に了解をいただいたうえ削除いたしました。ークラブ活動管理人ー

平成30年4月4日(水)≪桜満開?の見沼代用水西縁の散策≫

44日ウオーキングクラブのお花見をしました。
花見といっても実際は樹木観察ウオークでしたが、女体神社はシニアの花見客でいっぱいでした。
好天で楽しく過ごせた5時間でした。

平成30年3月7日(水)≪『氷川神社』参拝~大宮公園~『大宮盆栽美術館』観覧≫

2018年度スタートのウオーキングクラブは 1月の積雪の為 3月8日に始動

気温8度天候には恵まれ参加者10名の男気がないなか さいたま新都心駅を出ました

5分もすると一の鳥居です ここからケヤキを中心とする参道を進みます。

1丁石~18丁石迄 昔の人が距離を知る為置いたもの(1丁は109m)です。参道もあれやと得意のコミュニケーションでしばし、気持ちを正し目的地の武蔵一宮氷川神社三の鳥居をくぐり境内へ 吉日とあって参詣者も多目。

 神社は2000年以上の歴史があり大いなる宮と称され大宮という地名の由来とされている

自称美女一行は樹木に囲まれた社殿で早々と長寿!を祈り 楼門にて記念写真もバッチリ決まり、静かに社殿を後にした。 次の目的地迄大宮公園を散策し紅白の梅を後にし、道中の庭木や花を眺め、大宮公園駅を渡り途中漫画会館で一息 盆栽村の雰囲気を感じながら目的地の大宮盆栽美術館へしばしのウオーク。 

 大宮盆栽村とは かつて東京の団子坂周辺の盆栽業者が関東大震災の被害を受け、盆栽育成の土壌を求めて移り住み、大宮盆栽村が生まれ名品盆栽の聖地としられる。

 大宮盆栽美術館は年間スケジュ-ルとして四季様々な特別展・企画展が開かれ、講座では盆栽ワークショップ・盆栽実技・ギャラリートークなどが開催され 当館は2010年3月に開館した公立美術館です

私達は館内に入り展示室に置かれたみごとな盆栽ギャラリーを1点1点興味深く味わい、色彩・枝ぶり・落葉した後の凛とした姿に見入っていた。外の盆栽庭園に移動し撮影箇所で盆栽に囲まれ写真をパチリ 庭園を散策したりした。又展示されている60点の盆栽も美しく深い味わいをもち更に日ざしをうけ3月ならではの輝きを放っていた。 

 1日目標の歩数も達成出来 女子会ランチで午後のゆったりとした時を過ごし 土呂駅より戻る。

2017年(平成29年)

平成29年12月7日(木)≪忘年懇親会≫

12月7日(木)ウオーキングクラブ今年最後の行事・忘年会を南浦和「いちげん」で行いました。

男性3名、女性9名が参加されました。

高野会長から今年の実績の報告や今年度の残っている行事が発表され、来年度の計画など話しながらお酒が進み時間も忘れるくらい盛り上がり楽しい時間を過ごしました。

第2部は場所をカラオケに移動、少人数ながらたのしく和気あいあいのうちに終わりました。

本年も怪我もなく楽しく活動できたこと、自分へのご褒美としてウオーキングなしの 「忘年会」楽しく飲み、食べ、歌うことができました。

来年も大宮初詣でをはじめ素晴らしい企画が予定されとても楽しみです

来年もどうぞよろしくお願いします。                  内田 陽子

平成29年11月15日(水)≪紅葉彩る 御嶽渓谷散策の旅≫

1115日(水)紅葉彩る御岳渓谷の多摩川沿いを散策しました。

参加者は13名(うち女性10名)、天候は日焼けが気になるほどの上天気でした。

南浦和のホームに集合し西国分寺、立川を経由して御嶽駅下車。

すぐに多摩川の川べりを上流に向かって散歩、途中から橋を渡って下流に向かいました。

川の流れは青く、水量も豊富、川べりのイチョウやモミジは赤、黄色と見事に

色付いて快適なウォーキングを満喫できました。1時間半ほど歩いた後、河原で各自持参の弁当を食べたあと、玉堂美術館見学に行く人と、帰りの乗車駅に向かう人との二手に分かれて歩きます。30分ほどで乗車駅沢井の駅前の酒蔵「澤乃井」に到着、お土産を買うなどしてここで美術館見学組を待ちます。待機組はその間に「寒山時」お参りしました。

3時前に南浦和に到着、一部の人が駅前の中華料理で反省会をしました。

久しぶりに緑と紅葉の山道を好天の中、13000歩ほどでしたが、とても楽しい一日でした。  

平成29年9月13日(水)≪開国の足跡を辿る、『浦賀』歴史散策≫

 担当(1班:内田、長滝、石井、村上)

1.はじめに:事前に当日の横浜地方気象台の天気出現率(30年間)を調べると、911日以降は季節の変わり目・台風シーズンの影響でしょうか、雨の出現率が晴れを上回っている。祈るは、参加者の日頃の”おこない次第“。前日は雨であったが、皆さんのお陰で”快晴“、最高気温が30℃の予想。 

825分、JR浦和駅に11名が集合。『開国の地横須賀市浦賀を目指して、31分発の高崎線(上野東京ライン・小田原行き)に乗車。ラッシュアワーで満員、周りは“生産年齢”の皆さんで、少々気が引ける。途中、横浜駅で「京急電鉄」に乗り換え、1016分浦賀駅に到着。  

 

三浦半島の東京湾に面した浦賀湾()の入江にある浦賀駅を、10時半に出発する。今回のウォーキングの目的は、健康増進に加え、164年前にタイムスリップして開国の地『浦賀』を辿り、小学生(中学?)の頃に歴史の時間で学んだ知識と地理を結び付け、“嗚呼、そうだったのか”と、改めて知識を呼び覚ますことにあるが(遅きに失した感はある?)。 

まず、浦賀湾の東側(東京湾に向かい左岸)にある「東叶神社」(叶神社は浦賀湾の東西にある)に向かう。歩き始めると右手に浦賀湾・ドックのクレーン、潮の香りが漂い足取りも軽快、浦賀湾の東西を結ぶ「浦賀の渡し」を過ぎ、駅から約30分で目的地の東叶神社に着く。心地良い汗が噴き出す。

 1)東叶神社ペリー来航から7年後の1860年に、日米修好通商条約の批准書を交換する遣米使節団が咸臨丸で浦賀を出航し、39日を要してサンフランシスコに無事入港したが、この時の船長が勝海舟である。勝海舟は、東叶神社に航海の安全を祈願して社務所裏の井戸で水垢離(みずごり)をし、山頂で断食をしたと伝えられている。山頂へは7箇所の石段(258段)を上り辿り着くが、1箇所目の階段を上がった本殿でお参りをした後、山頂を目指したのは健脚を誇る“若き三人”(Sさん、Sさん、M君)だ。木で覆われたトンネルの中の急階段(220段)を息切れもせずに、約10分で一気に上る。 

 狭い山頂の平場には断食跡の碑、祠が祀られている。隣接する浦賀城址からは、浦賀湾・東京湾・燈明堂が、また遥か遠くに房総半島が一望でき、絶景スポットだ。これから歩くルートを一望、皆さんに見せたかったが・・・・。 

次の目的地である浦賀の渡しには、来た道を引き返すこと5分で着く。 

 

2)浦賀の渡し:既に先客が2人いて、“ポンポン船”で親しまれている“地域の足”である船を待っていた。我々が乗り込むと13人で満員になる。渡船場・船は横須賀市の施設で、管理・運営を民間委託している。200円、3分で対岸の西岸に着く。船を降り5分で「陸軍桟橋」に出る。 

 

3)陸軍桟橋:参拝した東叶神社の鳥居・本殿屋根が見える。L字型の桟橋は、意外と小さい(縦約10m、横約20m)。太平洋戦争終了後の19458月(昭和208月)から、南方や中国大陸からの引揚者約56万人が、懐かしい日本の地に第一歩を印した所だ。余談だが、引揚船で知られている港は、流行歌・「岸壁の母」が大ヒットした京都舞鶴港がある。ソ連による抑留から解放された引揚者約66万人(13年間)が、母国の土を踏みしめている。 

次ぎに向かったのは、燈明堂。30℃の暑さの中、左手に浦賀湾を望み、日陰を選びながら緩やかな上り坂を約25分かけ、1210分に到着する。 

 

4)燈明堂1648年(慶安元年)、江戸幕府は、水運の急速な発展で夜間に浦賀水道を通過する船の安全を講じる必要から、浦賀港入口の燈明崎の先端に和式灯台である燈明堂を建設した。 

現在の燈明堂は、1989年(平成元年)に横須賀市によって復元され、2001年(平成13年)に神奈川県が選定した三浦半島八景に「灯台(燈明堂)の帰帆」として選ばれた。 

海に突き出した岬上にある“浦賀一の観光スポット”燈明堂を背に、日陰を選び波打際の岩畳で昼食をとる。浦賀港・東京湾・房総半島を望み、波の音・潮の香りで一味加わった弁当を楽しむ。 

185378日(嘉永663日)、4隻のペリー艦隊(「黒船」)が浦賀沖に現れ、3日間停泊した「開国の地」を目の前に、164年前にタイムスリップして、暫し当時を偲ぶ・・・江戸庶民が詠った狂歌、『泰平の 眠りを覚ます 上喜撰(緑茶の銘柄、「蒸気船」) たった四杯で(ときに船を1,2杯とも数える、「4隻」) 夜も眠れず』

   重い腰を上げ、嘉永669日にペリーが上陸した横須賀市久里浜に向かう。1333分発の久里浜行きのバスに乗り、開国橋で降りる。目の前に久里浜湾(港)が広がる。千葉県富津市金谷と久里浜(11.5km)を40分で結ぶ東京湾フェリーの発着場で、フェリーが入っていた。歩いて5分、ペリー公園に着く。公園には、ペリー記念館・ペリー上陸記念碑などがある。

 5)ペリー記念館:ペリー来航と開国の歴史を広く伝えるため、1987年(昭和62年)に横須賀市の市政80周年を記念して建てられた。 

1階が当時の様子を再現したジオラマ模型の展示ホール、2階がペリー来航当時(1853年)の貴重な資料が展示されている。ペリーの年齢が気になったので、資料を調べると58歳である。帰国後の5年後、63歳で亡くなる。 

 ペリー上陸記念碑は、ペリー上陸の足跡を伝えるため、1901年(明治34年)に米友協会が建立した。記念碑は見上げるほど高く、碑文「北米合衆国水師提督伯理上陸紀(記)念碑」(伊藤博文筆)、と刻まれている。 

《開国の足跡を辿る、『浦賀』歴史散策》無事に終わり、京急久里浜駅に出て帰路に就く。JR浦和駅に1625分に着く。お疲れ様でした。 

 

2.おわりに:幕末の大きな出来事(事件)の端緒となった黒船来航の地《横須賀市浦賀・久里浜》を駆け足で巡った。教科書や書物等から学んだ知識のみでは、事象の正確な理解は得られないことを、現場・現地を歩いて痛感した一日でした。 

 反省会は浦和駅東口の「一丁」で行った。一日“グッショリ”と良い汗をかいたこともあってか、ビール・料理が瞬く間に消える。次回の企画等に話が弾む中で、9月度ウォーキングが幕を閉じた。 

(出典:ウィキペディア他) 

(文:村上 写真:齋藤) 

平成29年7月20日(木)≪東京湾視察によるクルージング≫

          ローカル線を旅する会と共催しました

「ローカル線を旅する会」と「ウォーキング部」共催による視察船「新東京丸」による東京湾クルージングが720日(木)行われました。

梅雨が明けたばかりの暑い日でしたが、今日の日を楽しみにしていた29名の参加者が、1055分浦和駅1番線の最後尾に集合。京浜東北線に揺られて約50分、浜松町駅下車。先ずは徒歩数分余りの旧芝離宮恩賜庭園の木陰で腹ごしらえ。しばし休息した後、1250分目的地竹芝小型船ターミナルへ。待合室に案内され、待つこと20分。その間、これから乗船する新東京丸の前で記念撮影。1315分乗船。中に入るなり感じたことは、まるで会議室に入ったような雰囲気に圧倒された。まん中に細長く伸びた丸いテーブルが置かれ、両サイドには小テーブルと椅子が一列に前方に向って配置されている。乗客は私ども29名の他は10名ほどである。広いスペースで乗り心地は最高。

 さて、この新東京丸って何だろうという疑問が涌く。東京都港湾局が作成したパンフによると、都が進めている東京湾の役割(多くの人が親しめる憩いの場、交流の場、新しい都市造りの場として、ふ頭の再開発や広大な埋立地の開発)を知っていただくために運行しているという。利用人数は2060名。

コースは赤い線で示したとおりで、日の出ふ頭、芝浦ふ頭を過ぎ、目の中に飛び込んできたのはレインボーブリッジ。いつも遠くから眺めるだけだが、今日は橋の全景を下からの眺めだ。余韻が残る間にも品川ふ頭、大井コンテナふ頭が次々と姿を見せ、数万トンクラスのコンテナ船が横付けされている。やがて羽田空港が近づき、空港を発着する飛行機が空を舞っている。ガイドの流暢な説明にうっとり。目は促されるままに右、左。船は左に旋回し、左に埋立地を観ながら、また左に旋回。東京ゲートブリッジの下を通り抜け、臨海副都心を間近に見ながら、遠くにスカイツリーと東京タワーの両タワーを視界に捉える。遠くに東京デズニーランドの姿を見ながら再びレインボーブリッジの下をくぐり抜け、1時間20分ほどのクルージングが終了した。乗り終えた瞬間、皆さんは何を感じただろう。今日の目的は視察船の旅だということです。東京湾は京葉工業地帯の最前線として日本の工業を鼓舞してきた場所でもあり、日本の高度成長をもたらした原点でもある。どんどん進化しつつある東京港、東京湾の一片を視察できたことは大変有意義なことでありました。

また、浦和に戻ってからの打上げ懇親会の盛り上がりは申し上げるまでもなく尋常ではありませんでした。(井上)

平成29年6月7日(水)≪等々力渓谷をウオーキング≫

6月7日(水)ウオーキングクラブにて世田谷にある「等々力渓谷」を散策。

 

等々力駅から商店街を歩けば、ほどなくケヤキの大樹が目にとまる。この木を目印に右に曲がれば、すぐ先にゴルフ橋が架かる。橋の下は等々力渓谷。鬱蒼とした樹林の中を谷沢川が流れる。

駅から僅か200mほどしか離れていないのに、こんなにも緑の濃い渓谷があることに驚く。

両側の斜面から生い茂る木々は、空を隠すように枝を伸ばし、葉が日を遮る。まるで緑のトンレルの中を歩いているような気分だ。

横穴古墳、等々力不動尊や日本庭園などに寄り、玉川野毛町公園へ。公園の中の一画を占める野毛大塚古墳は日本最大級の帆立貝式前方後円墳で5世紀初めに築かれたもの。

公園を後にし、環八を歩き、第三京浜の歩道橋を渡り、二子玉川公園にて昼食。

集合写真を撮り、丸子川沿いを通って五島美術館へ。(昭和35年、東急グループ創設者「五島慶太」が収集した日本と東洋の古美術品をもとに開館。)

美術鑑賞や庭園内を自由行動し、上野毛駅から帰路へ。浦和で反省会を行い、解散。

 

当日は心配された雨も降らず、むしろ過ごし易い一日でした。

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平成29年5月24日(水)≪風の散歩道と井の頭恩賜公園を歩く≫

5月24日 下見なしの「井の頭恩賜公園と近郊」散策の始まり、連日の猛暑も落ち着き散策には良い日和の中を三鷹駅より「玉川上水で心中した太宰治」や「森鴎外」の墓のある禅林寺、神輿が多く収納されている八幡大神社をみて開園100年を迎えた井の頭恩賜公園へ。

井の頭恩賜公園は昔湧水が豊富で、今も神田川の水源地でもあり池に川鵜が多くの人々行きかう中1羽佇んでいた。

また、弁当を池の噴水が見えるベンチで取り新緑を堪能後吉祥寺の若者の街でお決まりの反省会でお開きとなった。 

平成29年4月26日(水)≪四季の花の香りのまち 越生へ≫

担当(高橋、齋藤、関川、村上)

 

平成29年度第1回ウォーキングは、“山吹”と“つつじ”が満開を迎えた越生町を訪ねた。心配した天気も部員の熱き願いが通じてか、雨の心配もなくなり皆さん笑顔で850分、JR北朝霞駅に集合した。総勢13名(女性9名、男性4名)で東武東上線朝霞台駅92分発の電車で越生に向かう。

坂戸で東武越生線に乗り換え、955分「越生駅」に到着。越生駅はJR八高線駅でもあるため、2度も改札を通過する。駅の案内板で本日のウォーキングコース約9km山吹の里歴史公園~越辺川(おっぺがわ)遊歩道~五大尊つつじ公園世界無名戦士の墓~さくらの里公園>を確認し、「山吹の里歴史公園」に向かう。駅から約1.2km

10分で目的地の太田道灌(*1)の「山吹のエピソード(七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞ悲しき)」(*2)の地に到着する。

 三千株の山吹が満開の公園は既に観光客で賑わっており、シンボルの水車小屋の周りは記念撮影をする人でごった返している。園内を流れる清流には10㎝程の小魚が泳ぎ、高さ20m程の急斜面には、一重と八重の山吹や満開のつつじの間を縫うように擬木で遊歩道が整備されている。鶯のさえずりを耳にしながら、ひたすら展望台を目指し急坂を上る。展望台から眼下に広がる絶景(越生町を囲む様に手前から越辺川と遊歩道、対岸の山裾に広がる「五大尊つつじ公園~世界無名戦士の墓~さくらの里公園」)を眺め、一息入れる。

 公園を出て越辺川に架かる橋を渡り、河原に下りると整備された遊歩道(約2km)が上流に向かって続いている。遊歩道の両側には八重咲きの山吹と葉桜になった吉野桜のトンネルを抜けると、県道に出る。山吹の里から50分で第二の目的地である「五大尊つつじ公園(*3)に到着する。

 入園料200円を払い、まず、「黒岩五(*4)にお参りする。参道の両側には350年以上前に植えたとされる約600株のつつじの古木や江戸時代末期の豪商、鈴木金兵衛の「札所写し」(四国・西国・秩父・坂東)が104基建っている。

 黒岩五尊に隣接する「つつじ公園(約3ha)」には、10数種類のつつじ約1万本が植えられており、山裾を鮮やかに彩っている。種類によっては、まだ蕾みのつつじも見られる。公園の中程にある東屋を取り囲むように、毛呂山小学校2年生が遠足で1時間20分かけて歩いて来ており、賑やかに弁当を食べていた。

 12時、色とりどりのつつじの花に囲まれた平地を探して、昼食をとる。天気も回復し、薄日が差し汗ばんでくる。ビールが欲しくなる。Iさんが「赤霧島」の焼酎を差し入れてくれた。感謝!感謝!でした。最後の目的地に向け、気力・体力を受電して、1250分出発する。

 「世界無名戦士の墓(*5)へは、樹間を縫う“落ち葉の獣道”の上り坂を20分かけて登る。幹事が手助けする一幕も見られた。最後の力を振り絞り、大観山の頂上にある世界無名戦士の墓に続く長い階段を上る。屋上の展望台からの眺望は抜群で、少し靄で霞んでいたが遠く新宿副都心、さいたま新都心、関東平野を一望することが出来、9kmのウォーキングの疲れも吹き飛んだ。

 帰り道は、葉桜になった「さくらの里公園」の坂道を下り、越生町の市街に出る。駅前の観光案内所に1350分到着し、約4時間のウォーキングは予定通り無事に終わった。越生といえば“梅林”、観光案内所で“梅ジュース”を飲み、帰路に備える。

 

 越生駅1417分発の電車で、反省会場の朝霞台駅に向かう。1540分から駅前の「天狗」で反省会を行う。足は疲れているものの、口だけは達者でウォーキングに暮れた一日を笑顔で締めた。ご苦労さんでした。

 

(資料編)

*1 太田道灌:1432年、相模に生まれる。室町時代の武将・歌人で、百戦百勝の戦上手・築城の名手(江戸城を築城)・当代屈指の歌人。山吹のエピソード(*2)などがある。

*2 山吹のエピソード:若き日の太田道灌が鷹狩りに来て、にわか雨に会い近くの農家に蓑を借りようと立ち寄ったところ、その家の娘が庭の山吹の一枝を折って差し出したところ、道灌は怒って帰宅した。後に山吹には「七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞ悲しき(あやしき)」(作者:兼明親王)の意が託されていたのだ、と教えられ無学を恥じたという話(『常山紀談』)。

 

*3 五大尊つつじ公園:五大尊つつじ公園には、10数種類、約1万株のつつじが約3haにわたり 植栽されており、館林のつつじ園に勝るとも劣らない関東一のつつじ園として名高い。

*4 黒岩五大尊:五大明王(不動明王、降三世明王、金剛夜叉明王、大威徳明王、軍荼利明王)の尊称で、平安末期の造立。平成123月に県指定文化財に認定され、埼玉県立博物館に保管されている。現在は新(代理) 五大明王を建立。

 

*5 世界無名戦士の墓:第二次世界大戦で戦死した「無名戦士の墓」も兼ねる兵士の慰霊塔で、1955年(昭和30年)に完成。264人の戦死した無名戦士の墓として遺骨が納められ、さらに世界60余カ国の251万の戦死した兵士の英霊を安置している。

(村上 束穂記) 

平成29年3月31日(金)≪なまずの里吉川市・花散策≫

平成28年度最後のウオーキングに選んだ先はナマズの里吉川」。お目当ては桜と江戸川堤防堤の菜の花。桜の名所は数多くあれど吉川の桜は、知名度こそ低いが隠れた存在として知られている。

前日の春の陽気は薄らぎ曇天模様。帰りまでは雨にあわないように祈りつつ、10時吉川駅前をスタート。参加者は17名(男5名、女12名)。歩いて15分足らずで桜通りに到着。名が示すように道路の中央2.5㎞にわたり500本の桜並木が続く。まだ2分咲きといったところ。市の中央街を30分ほど歩いて沼辺公園に到着。15分ほど休憩の後、一気に江戸川堤防堤までひたすら歩き続ける。下見の時より15分ほど遅れて到着。そこは一面黄色に彩られた世界。歓声があがる。

堤防堤の上はサイクリングロードになっていて、遠くまで見渡せる。なかなかの絶景だ。黄色い菜の花に囲まれての昼食。味わいが格別だ。

 サイクリングロードで先ず集合写真1枚パチリ。

しばし菜の花に染まるほど魅入っている。そこは吉川公園になっていて

市の観光スポットである。吉川公園と書かれた文字碑を囲んで集合写真。

帰り道はウオーキングでと言いたいのだが、敢えてバスを利用。それには深い意味が込められているのだ。今年度最後のウオーキングの締めくくりは、何といっても打上げ懇親会。それに期待を込めて昼は軽めの昼食。時間との競争だ。バスが吉川駅前に着くなり“いちげん”に直行。1年間の活動を振り返って高野部長の挨拶もそこそこに、場は一気に盛り上がりあっという間の2時間でした。桜に裏切られた分を菜の花が見事にカバーし、まずますの印象でした。最後に一言。“花より団子”にあらず、日本人の心は申すまでもなく“花に酒”でした。

平成29年2月24日(金)≪湯島天神・湯島聖堂・神田明神・他をウオーキング≫

参加者10名。この位の人数は、すぐに人数が確認出来て丁度良い集団です。

朝のうち風が冷たく暖かい恰好をしてきた方が多かったですが、歩いているうちに風も止み日が射して、楽しく歩く事が出来ました。

上野公園の中を歩き上野東照宮で参拝し、不忍池を通り抜け湯島天神へ。

湯島天神では梅が今正に満開で、受験シーズンという事もあり、願い事が書かれた絵馬が沢山掛けられていました。

昼食は東大で学食を食べました。有名な安田講堂下にある食堂は、安くて美味しいので、 一般客が沢山来ていました。 

 食後、東大内にある三四郎池を廻ってから湯島聖堂へと向かいました。歩いて15分位の距離です。

 湯島聖堂は、巨大な孔子の銅像が印象的です。その後、道路向かい側にある神田明神で参拝した後、参道にある甘酒屋を覗きながら、秋葉原方面へと足を運びました。

反省会を兼ねて、秋葉原駅前の喫茶店で打ち上げをしました。 

 歩いた時間は、正味2時間弱位でしたが、話しながら歩き親睦を深め、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

平成29年1月16日(月)新春ウオーキング ≪川崎大師参拝と横浜中華街でお食事≫

 当日(1/16)は、今冬最強寒波でコート、マフラー、ホカロン・・・と完璧な防寒の出で立ちで川崎大師へ。名物のダルマ,くずもちが店先に所せましと並べ活気のある呼び込みの仲見世を抜けて川崎大師(金剛山金乗院平間寺)大本堂(ご本尊は、厄除弘法大師像)に、各自清々しい気持ちで願い事をしました。

 横浜中華街には目移りするほど美味しそうな店多くあつたが今回は、事前に予約した所での昼食バイキングでふかひれ、北京ダック・・・約30種類の料理を堪能した。満腹のため軽い運動を兼ねて山下公園を散策後満足感にひたり帰路に就いた。

次回は、224日(金)上野駅公園口10時集合で上野、東大、神田近辺の散策を予定しています。

2016年(平成28年)

平成28年12月12日(月) ≪別所沼公園~花と緑の緑道~忘年会~調神社を散策≫

 1212日(月)、13ウォーキングクラブの今年を締めくくるウォーキングを実施した。10時半、JR浦和駅東口)に16名(男性4名、女性12名)が勢揃いし、穏やかに晴れた冬空のもと元気よく別所沼公園目指して、スタートした。旧中山道に差し掛かると、さいたま市に年の瀬を告げる恒例行事の「十二日まち」の露店が既に並んでおり、福をのぞむ多くの人々の来場を待っていた。

 県庁を過ぎると間もなく目的地の別所沼公園に到着した。浦和駅から約1.5km、およそ30分を要した。

 忘年会は、高野代表から今年の総括と来年の抱負について挨拶があり、乾杯の音頭で始まった。2時間余りの親睦会は大いに盛り上り、早くも来春の行事に花が咲いた。当初の予定では、忘年会終了後に解散の予定であったが、若さ溢れる皆さんの意気込みは熱く、調神社まで歩くことになった。忘年会場裏の「白幡沼」14時半にスタートした。 

 

  調神社・旧中山道で「十二日まち」が開催されていることから、境内には露店や参拝客で賑わっており、足の踏み場もない。拝殿には長蛇の列ができており、参拝には相当時間がかかった。

 15時、参拝後に解散する。

 

 今回のウォーキングは、私の身近な親水公園・散歩道・神社を巡ったが、その歴史・文化・催事など全く無知なことが多く、勉強不足を痛感した。

「別所沼公園」

 別所沼は、大宮台地が浸食されて出来た谷底低地から湧き出した水が溜まり沼になった、と考えられている。沼を取り囲むように約330本のメタセコイア(中国原産)の並木は、既に紅葉の時期を過ぎ落葉が“足に優しい”舗装素材で造られた「トリムコース(一周1,000m)」に降り注いでいた。沼には釣り糸を垂れる釣り人、トリムコースをジョギングや散策する人々に混じって進む。

 弁天島に差し掛かると、島の入り口横に漫画家の“やなせたかし”氏が創作した、さいたま市の観光大使である「浦和うなこちゃん」の像を見つける。弁財天にお参りし、志木街道を陸橋で渡り次の目的地である「花と緑の散歩道」に向かう。

 

「花と緑の散歩道」

 「花と緑の散歩道」は、別所沼公園からJR武蔵浦和付近まで続く約2kmの緑道で、別所沼からの排水路を暗渠化(別所排水路)し、上部を整備して散策路としている。別所排水路は下流で笹目川に合流している。 

 桜並木(春にはソメイヨシノのトンネルで賑わうのだが、残念!)を約30分歩き、忘年会場の“木曽路武蔵浦和店”に向かう。1145分到着。

 

白幡沼」

  別名「こぶし沼」とも呼ばれ大宮台地の縁に位置し、近年まで笹目川の源流であった。現在は、沼の余水や大宮台地から流入した雨水を笹目川に排水する暗渠水路(暗渠化)があり、上部は白幡 

緑道(白幡遊歩道)となっている。また、沼に流入する岸町西大排水路が暗渠化されて岸町緑道となっている。岸町緑道は、桜とサザンカが植栽されておりサザンカの赤い花をつけている。緑道では近くの浦和商業高校と岸中学の学生がジョギングをしていた。岸町緑道から旧中山道に抜けて調神社を目指す。

 

「調神社(つきじんじゃ)」(地元では「調宮(つきのみや)」と愛称されている)

 今からおよそ2,000年前の第十代崇神天皇の勅命により創建されたが、その後は荒廃・焼失・復興を繰り返えした。現在の社殿は426年前の安政6年の竣工で、総欅の権現総欅で一間社流造りという建築様式である。

 社名の「ツキ」により月待信仰が古くからあり、狛犬ではなく狛ウサギがある神社として知られる。

 

 調神社に伝わる7不思議

 ①鳥居が無いこと・・・伊勢神宮斎主の倭姫命の命で、神宮に献上する調物(貢物で関東一円の初穂米・調)を納める御倉が調神社の前身になったと想定されている。調物の運搬の妨げになる神門・鳥居を除いたことによるとされる。

 ②松がないこと

 ③御手洗池(「ひょうたん池」とも言い、現在は消滅)に魚を放つと、その魚は片目になること

 ④兎を使姫とすること

 ⑤日蓮聖人駒つなぎの欅

 ⑥蠅がいないこと 

 ⑦蚊がいないこと


13ウォーキングクラブ⒊班 村上束穂記)

平成28年11月18日(金) ≪人形のまち・岩槻を散策≫ 岩槻駅~人形歴史館~芳林寺~時の鐘~岩槻城址公園~久伊豆神社~東岩槻駅

日の雨も嘘のように晴れ、晩秋の人形のまち岩槻散策に集まったのは12名(男3名、女9名)と少なかった。13期慰安旅行から三日しかたっていないのだ。

今日の行程は、10時大宮駅「豆の木」前に集合。1011分の急行で岩槻駅へ。今日のウオーキングコースは人形歴史館~芳林寺(太田道灌公騎馬像)~時の鐘~昼食(レストラン大手門)~岩槻城址公園~久伊豆神社~東岩槻駅の9㎞コース。 

 岩槻といえば人形。人形見ずして岩槻を語れないという意気に感じて最初に訪れたのは人形歴史館。館長よりたっぷりと人形に絡むお話を聞くこと40分。そもそも人形が岩槻で作られるようになった訳は桐の木が多く植えられ、桐のタンスを作る際に出るおがくずを利用して人形作りが行われるようになったからだという。ほかにも人形に関係したエピソードが言葉巧みに話される。皇族とのお付き合いもあるとか。とても83歳の老人とは思えなかった。岩槻の街は高層住宅がなく、道路もきれいに整備され、走る車も少ない印象を持った。 

次いで芳林寺の境内の前に建つ太田道灌の騎馬像、歴史を感じさせる「時の鐘」を見物。

「時の鐘」といえば川越の「時の鐘」をさすが、ここの「時の鐘」もなかなかのものだ。

時計を見るともう12時を超えている。20分足らずで岩槻城址公園に到着。初めの予定では城址公園を先に見てから食事の予定であったが、12時半も過ぎている。公園のすぐ目の前にあるレストラン大手門に直行。岩槻といえば豆腐ラーメンが名物という(佐野氏からのリクエスト)。それまでは聞いたこともなかった(恥)。ボリュームたっぷりのラーメンを前に先ずはビールで喉を潤す。

腹を満たしたところで城址公園へ。桜の城址公園は絵にもなるが、まだ完全には色づいていない公園はどこにでもあるただの公園。朱色がひと際目立つ橋の上で集合写真をパチリ。30分ほど北の方向に歩いて最後の訪問先久伊豆神社に参拝。長い参道といい、神社の建物といい、スピリチャルな感じを抱かせるには十分だった。後はゴールの東岩槻めざして歩くのみ。

 

今回のウオーキングを顧みてまず感じたことは、ウオーキングというよりは歴史散策のような結果に終わったということ。やはりウオーキングは郊外の田園コースを歩くか、自然豊かなローカルコースを選ぶのが常套だと感じた次第。

平成28年10月15日(土) ≪野川・深大寺ウオーキング≫ はけの小路~野川公園~出山横穴群~深大寺~深大寺植物公園

10月15日(土)JR中央線「武蔵小金井駅」に集合し、下記のコースを散策。

はけの森(はけの森美術館側道)

・はけの小路

・武蔵野公園

・野川公園

・出山横穴墓群八号墓「でやまおうけつぼぐ

  んはちごうぼ」

・水車小屋

・深大寺(昼食)

・神代植物公園

 当日は天候に恵まれ、歩いていると汗ばむくらいの好天気でした。

 「はけの森」では美術館の開館時間に合わず、迂回してはけの小路へ。(はけとは崖のことを言うそうです)

 「はけの小路」は短い区間ですが一歩足を踏み入れると、まるで別世界のような趣きがありました。

 はけの小路を抜けると野川の側道に出、野川沿いを歩いて武蔵野公園へ。「武蔵野公園」は武蔵野の面影を残す国立公園で、当日は野川の側道一帯にコスモスが咲き乱れていて通行人の目を楽しませてくれました。

 暫く歩き西部多摩川線をくぐって野川公園へ。「野川公園」はゴルフ場を前身とする都立の公園。植物群落や野鳥を見る自然観察園もあり、ここも川沿いを会話し、周りの景色を眺めながら歩くと日頃のストレスが発散されるようです。

 野川公園をあとにして「出山横穴墓群八号墓」へ。ここはホタルが舞う水辺の奥の小高い山の中腹にある墓。(人骨の模型が展示されている)

 山を下り野川の向こう岸にある「水車小屋」へ。三鷹大沢にある民家が経営していた水車小屋(三鷹市に寄贈されている)でボランティアの方々に水車の歴史、仕組みなどの説明をうける。  

 そしてお楽しみの昼食へと「深大寺」へ。深大寺は天平5年(733)創建といわれる寺。周りに風情ある茶屋や手打ちそば店(江戸時代、深大寺でそばを打って客をもてなしたのが深大寺そばの始まり)などが深大寺のイメージを作っている。

 食後、「神代植物公園」へ。都内唯一の植物公園で園のシンボルとなっているフランス式庭園にバラがあたり一帯に咲き、見る人の目を楽しませてくれていました。園内を自由散策した後、バスで京王線つつじヶ丘へ移動し、反省会を兼ね、打ち上げ。

 怪我や事故などなく好天にも恵まれ楽しい一日を過ごせたウオーキングで


平成28年9月30日(金) ≪大国魂神社~東京競馬場同博物館~サントリー工場≫

久しぶりの秋空のもと、今年最高の参加者20名が南浦和駅に集合。

今日の行程は、大国魂神社~JRA東京競馬場・競馬博物館~大東京綜合卸売センター~府中市郷土の森博物館~サントリー武蔵野工場である。最初の訪問先「大國魂神社」は、緑豊かな鎮守の杜に囲まれて、数ある神社の中でも歴史が古く、創建は約1900年前(111年)。格式の高い「東京五社」の一つで、由緒と歴史・格式のある、東京を代表する神社です。拝殿後、宝物殿を見学。途中、伊勢丹で弁当を調達。一路JRA東京競馬場へ。ダービーやジャパンカップなど重賞レースが行われる日本を代表する競馬場だけあって、広大な敷地がまばゆい。芝生に群がっての食事。ついいつも見慣れている浦和競馬場と見比べてしまう。当初は大東京綜合卸売センターでの昼食を予定していたようだが、お弁当でよかったと誰もが思った。ここで集合写真をパチリ。JRA競馬博物館はまさに「馬の博物館」。

展示物やシアターでたっぷり時間を取ったため、大東京綜合卸売センター~府中市郷土の森博物館のコースは取りやめ、最後の訪問先、サントリー武蔵野工場へ。これが目当てに参加した人も多いのではという邪推もさながら、足が勝手に動く。さて、ビール工場では美人ガイドの流れるような説明にうっとり。先ずシアターで工場や製品の説明を受けて、製造工程の一部を見学。そして、待ちに待ったビールの試飲会場へ。つまみとビール(モルツ)を手にもって、テーブルへ。3杯お代わりできるというが、時間が20分程度。約3分の1はビールの説明。3杯は軽くいけると思っていたが、大半の人は2杯。それでも大満足。ここでも集合写真をパチリ。 

最後に一言。ウオーキングらしくないウオーキングであったといえば失礼な言い方だが、このような企画は大歓迎だ。企画がグループ制になってから、それぞれ趣の異なる企画にうっとり。先ずは担当された方に感謝します。

平成28年7月5日(火) ≪西武線西武球場前~トトロの森~狭山湖~西武球場前≫

7月に入り、34日間は梅雨明けを思わせる蒸し暑い日が続き、実施が危ぶまれたが、昨日までの暑さが嘘のように、長袖が恋しい絶好のウオーキング日和。今日の舞台は、宮崎駿監督ですっかり有名になった「トトロの森」だ。

850分南浦和駅に集合。参加人数は12名。今日は新加入の村上束穂氏(2班)の初参加があり、朝から異様に盛り上がっていた。10時西武ドーム前をスタート。10分ほど一般道路を歩いたのち、細い路地を数分歩いた先はトトロの森だ。

トトロの森はナショナルトラスト活動(大勢の人たちが少しずつ寄付を出し合い自然や文化財を守るために土地を買取って守っていく運動)に支えら、武蔵野の面影を未来永劫残していこうという。まだ森は若く、鬱蒼と木立が林立する姿は見られないが、それらしい雰囲気を漂わせ、ハイカーを楽しませてくれる。歩き始めて1時間足らずで狭山湖に達した。狭山湖は多摩湖と並ぶ貯水池。その頃になって、絹糸のような霧雨が落ちてきた。1㎞続く堤防からの眺めはなかなかの絶景だ。晴天であれば秩父の山並みや富士山まで見られるのだが、今日はその分だけ減点だ。湖畔の東屋の下で昼食。西武ドーム前をスタートして2時間半、西武ドームに戻ってきた。西武線秋津駅で降り、武蔵野線新秋津に乗り換えるのに商店街を数分歩く。我々一向は反省会と称して、西洋風の居酒屋でまずは一杯。今日のハイキングについての感想。主催者側は7月開催ということで、「雨」と「炎暑」の2つの課題を抱えての選択理由を説明。ウオーキングには物足りなかった点を反省。幸い、絶好の日和(?)に恵まれ、結果は成功の評価。ウオーキングより宴会の方が盛会であったというのが主催者のコメント。 

担当 1班(石井和子、市川章子、内田信子、長滝和子、井上 勲) 

平成28年5月25日(水) ≪天覧山、多峯主山(とうのすやま)を経て新緑の高麗川沿いを歩く≫ 飯能駅~能仁寺~天覧山~多峯主山~高麗川~飯能河原~飯能駅

 平成28年5月25日(水曜日)8時半過ぎ、武蔵野線新秋津で乗り換え西武線で飯能へ。天候はうす曇り。昨日まで真夏日が続いていたのに今日は日照りがなく半袖では肌寒いような朝でした。参加者は男性3名女性10名の13名。10時、飯能駅から歩いてまず最初の見学地は明治時代の絹問屋の建物。太―い柱と、お店のユニークな構造が印象的な店舗でした。次に観音寺をお参りしてから能仁寺参拝。かなり立派な寺で徳川家康の恩恵をうけていたそうです。ここまでは普通の町中を和気あいあいでしゃべりながらすたすたと歩きました。

ここから登りの山道に差し掛かり、無口な人々に変身。15分くらいで休憩所に着いたときははあはあと言いながら汗を拭いて水分補給。その後もゆるい坂を登って天覧山195Mに到着しました。まだちょっとお昼には早いので次の多峯主山271Mを目指します。体が山道に慣れてきたようでまた数人づつが思い思いにあれこれしゃべりながら頂上到着。昼食をとりました。急な下りの階段を降り切ると高麗川の岸辺に出ます。しばらく河原を歩いて飯能駅を目指しました。電車は飯能始発でみんな並んで座れました。 

今日のコースは、往きは割合のぼりがゆるく山頂の後は少し急な階段を下り、最後は清流の河原を歩いて街に出るのでコースとしては割合楽で楽しいウオーキングとなりました。これが逆のコースをとればもっときついハイキングになったと思います。これも下見に行ってくれた部員のおかげでより良い結果が生まれたと思い感謝します。天候も汗ばむほどでなく、雨具も不必要、街中でもいろんな花が咲き乱れ、さわやかな5月の風を受けながら歩くことができ、電車内も座席が確保できてとても大成功の一日となりました。帰りは秋津の駅で解散、帰宅グループと反省者グループに分かれて終了しました。

平成28年1月20日(水) ≪川越七福神めぐり≫ 大宮駅ー川越駅

第7番妙昌寺で集合写真
第7番妙昌寺で集合写真

 スタートは大宮駅21番ホーム 積雪が残る朝男性4名、女性8名が次々に集まり 挨拶 点呼、気合が入った笑顔で目的地へ出発です。

川越駅から5分の妙善寺(七難を避けて七福を与える北方守護の神仏である毘沙門天)で、早速それぞれの思いを胸に手を合わせました。 天然時(寿老人)を後にし すでに各自の参詣スタイルを発揮し、歩行しながらの楽しいお喋り 又、雪道の体験。

 

3番の喜多院(大黒天)は見事な山門があり、入ると右に五百羅漢、左前方が本堂となっており 再度訪れた方々もいました。1200年の歴史と国指定重要文化財を持ち、桜と秋の菊祭りはおすすめ。4番成田山(恵比寿天)は福利を招く神である。 蔵造の町並みに続く中央通りを横切り蓮馨寺(福禄寿神)へ参詣、にぎやかな町並みに出て散策していると右手5~6m奥にシンボルとなる時の鐘がドンと姿をあらわし まさに川越。人気の菓子屋横丁をあとにひっそり佇む見立寺(布袋尊)へ。

 

まだまだ皆さんの足元は軽く最後の7番妙昌寺(弁財天)へ、この場所は高台にあり、江戸時代には見事な富士山が拝めたと伝わり財宝、利得、商売繁盛の女の神様である。

 

参詣を続けて2時間半程1月のやや肌寒い晴天に恵まれ、小江戸川越七福神めぐりを達成もちろん今年の開運を確信し、余韻の残る川越で昼食と?と和やかな親睦の時間を楽しみつつ 帰途につく。

(写真=下左から第一番妙善寺・第二番天然寺・第四番成田山・第五番蓮馨寺) 

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クラブ活動  4月19日更新

 班 活動    2月21日更新

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五大尊のツツジ
五大尊のツツジ
 スマホでも見られます
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